勉強の関わり方①

息子が小学3年生になった頃からだろうか。

『自主学習』というものが始まった。

『自主学習』は、宿題の一部として出されていた。

それは、先生から指示された宿題にプラスしてやるもので、

“自ら内容を考え、自主的に取り組む学習”だった。

小学3年生の時はまだ“できたらやる”という感じでよかったので、

週末などに絵を書いたり、漢字を書いていく程度だった。

 

それが、小学4年生になると“毎日必ずやる宿題”になった。

その頃の息子は、黒板の板書がほぼできず、“ノートに整理して何かを書く”ということが苦手だった。

自分で学習内容を考えるのも難しく、見開き1ページを埋めることが難しかった。

かといって、こだわりの強さもあり「漢字と計算で埋めとけばいいか!」ともならなかった。

『自主学習』の他にも漢字ドリルや計算ドリルの宿題や音読練習などもあり、全て終わるのに4時間も5時間もかかっていた。

息子は集中力も切れ、ただでさえ弱い筆圧は更に弱く、ただでさえ汚い字は見たこともない汚い字になった。

私が仕事から帰って、漢字ドリルの宿題を見ても半分もできてないことも多く、そこから食事とお風呂を済ませようを思うと、どんなに頑張っても寝るのは24時過ぎだった。

 

私はそんな息子を「どうにかしなくては!」と思っていた。

 

 

 

仕事から帰り、食事とお風呂を済ませると20時過ぎ。

息子は集中力も切れてくるので、ボーッとしがちで私の声は届かない。

何度も聞き返してくるから、声はどんどん大きくなった。

「そこ!字が汚いよ!!」

「そこ!書き順が違う!!」

「とめはね!ちゃんと書いて!!」

しまいには、息子が書き終わる前に、

「そこ!ちがーうっ!!!」

22時過ぎに帰ってくる旦那さんは、その様子を見てため息をついた。

すごく悲しい気持ちになった。

自分ばかりが子供を育てる責任を負わされているような気分だった。

 

 

でも、ふと息子の顔を見て気がついた。

『怯えてる。』

そこで私が間違っていたことに初めて気がついた。

私は、なんてバカ野郎なんだ。

 

 

やり方を変えることにした。

まずは息子が楽しんで勉強できるように考えた。

学習の内容を息子に考えさせるのを諦め(これだけで1時間かかってた)、

私が考えた。

同じ漢字を何度も書いたりする反復練習はモチベーションが下がって時間がかかったので、クイズのようにして漢字を学べるようにした。

 

【例 (漢字の足し算)】

  日+音=暗   言+十=計  木+黄=横

 

 

するとそれがハマったのか、かかる時間が短くなった。

そのうち、自分で問題を考えられるようになり、応用問題(漢字の引き算・掛け算)なども考えるようになった。

 

そして、きれいな字(私の求める)で書かせることを諦めた。

それを求めることが全ての足かせになっていると気づいたから。

 

そうすると、ただの反復練習だとノート1ページやるのに3〜4時間かけていたのが、1時間程でできるようになった。

 

 

そして小学5年生になった時、私は“先生が求める自主学習ノート”を書かせることを諦め、“手抜きをして量と質を向上させる”ことにした。

本来は見開き1ページ全て手書きで埋めるのが望ましいようだったが、市販のドリルを買い、それをやって貼らせた。

すると、たくさんの問題をこなせるようになった。

その頃には算数が得意になって、中学受験用の“1問だけど時間のかかる問題”を喜んでやるようになった。

 

小学6年生になると、あれだけ時間がかかっていた漢字の反復練習(ドリル)に黙々と取り組めるようになった。

本人は『無の境地』と言っていて、なにも考えずにやっているからあまり覚えられていないようだったけどそれでもいいと思った。

 

できていないところを見るか、できているところを見るか。

(できていないところを見なくていいわけではないと思うけど。)

息子の場合は、できているところを伸ばすことで、できていないところも引っ張られてよくなったのかもしれない。

 

 

よく、「子供の勉強に関わってる」と話すと、

「今は勉強のやり方も変わってるから余計なことしないほうがいいよ。」とか、

「いずれなるようになるから、大丈夫。学校に任せたほうがいいよ。」とか、

「母親は、3食きちんと子供に食べさせてればいいんだよ。」とか、

と、いろいろな人がアドバイスをくれた。

けど、よく思われていないようにも見えた。

 

 

でも私は、こんな失敗ばかりの関わり方だけだったけどたくさんの学び(私の)があってよかったと思っている。

 

「今の勉強のやり方」は改めて勉強すればいいだけだし、できてよかった。

(大した違いはなかった)

「ほっといてもいずれなるようになる子」はほぼいなくて、そう言ってた人は高校受験の時

『塾に行かせてるのに成績上がらない!』

とぼやいてた。

関わらせてくれた息子には感謝している。