私が中学生の頃の話。
我が家には破天荒な父と、真面目で働き者の母がいた。
父は、会社に属することが苦手で、度々『自由業』という仕事をしていた。
背が高くてユーモアがあって、友達のお父さんより若いのが自慢だった。
そんな父は、借金と愛人を作るのが得意だった。
母は、父の借金を返すために保険会社で働き出し、役職に就くまで出世した。
(・・・当時の私はそんなこと知らなかったのだけど。)
その頃、世の中は『バブル』と言われ、父は調子に乗って会社を作った。
まだ仕事が軌道に乗ってもいないのに、事務員を3人も雇った。
私が中学生になった頃、父はある日突然、
「お前に家庭教師をつけてやる!」
と、大学生の男の人を連れて来た。
どうやら、父の会社の事務員の知り合いだったようだ。
当時私は絶賛思春期で、知らない男の人が苦手だった。
大学生の男の人なんて、気持ち悪いと思っていた。
ケミカルウオッシュのジーンズに、蛍光色のトレーナー。
眼鏡で、うっかり目が合うとうっすらとヒゲ。
・・・勉強どころではない。
2ヶ月我慢して、もう親に『家庭教師やめたい』と言おうと決心した日。
その大学生は「辞めさせて下さい」と言ってきた。
そりゃそうだ。
目も合わせない、ニコリともしない、そんな子に心が折れない人はいない。
ほんとうにごめんなさい。
それから1ヶ月後、今度は母が家庭教師を連れて来た。
ちなみに両親が教育熱心だったわけではない。
仕事上の付き合いで引き受けていただけ。
母が連れて来た家庭教師は、女の人だった。
それが『サクマ先生』との出会い。
私と同じ中学校から、朝霞高校に行き、山脇というお嬢様短大の1年生。
ロングヘアで前髪をいつもクルンとケープで仕上げたきれいな人だった。
私は長女で、ずっと『お姉さんがいたらな~』なんて思っていたので、サクマ先生にすっかり懐いてしまった。
勉強だけでなく、一緒に池袋まで映画を見に連れて行ってくれたりもした。
お下がりのものすごい短いチェックのミニスカートをくれたり、耳がちぎれそうになる大きなイヤリングをくれた。
覚えられないくらい彼氏がコロコロ変わって、それ以外に『アッシー君』とか『メッシー君』という人が登場した。
『彼氏にするなら6大学の男を選ぶんだよ!』とか、『車は白のセダンに乗ってる男がいい!』とか、中学生の私には意味の分からないことを教えてくれた。
一方で、勉強に関してはまじめで授業は厳しかった。
ある時、「将来の夢は?」と聞かれた。
「多分、それなりの高校に行って、それなりの短大に行って、OLになる。」
と答えたら、「夢がない!!」と怒って帰ってしまったことがあった。
そんな熱い一面があるところも大好きだった。
中学1年生の冬、1本の電話がかかってきた。
電話に出た母は、泣きながら謝っていた。
電話を切って座り込み、
「お父さん、二十歳の女の子と浮気してるんだって。」
と私に言った。
どうやら、その二十歳の女の人の両親が不倫していることを知り、うちに電話を
かけてきたらしい。
しかも、調べたら父はその女性の他に3人の女性と不倫をしていたとか。
中学生の私は気のきいた言葉もかけられず、
「・・・(なんだかドラマみたいだな。)」
って思いながら、黙っていることしかできなかった。
その後、父の会社が借金まみれになっていたことも発覚。
両親は離婚することになった。
バブルだったこともあり、家が買った時の倍の価格で売れて借金はなくなった。
母と妹と私は、同じ学区内の借家に引っ越した。
父とはその後祖父の葬儀の時に会ったきり、10年位会わなかった。
私は、あまり家に帰ってこないけどいい父親だと思っていた人が極悪人扱いされるようになって、現実についていけず実感のわかない毎日を過ごした。
サクマ先生は割と早めにうちのゴタゴタに気づいて、話を聞いてくれた。
毎週、サクマ先生の来る火曜日と木曜日が待ち遠しかった。
数か月後、サクマ先生の就職が決まった。
何社か内定が出た中から、大手の証券会社を選んだ。
そしてその頃、我が家の引っ越しが決まった。
当時、家の価格が高騰していて学区外に行くしかなかった。
何度も「転校したくない」と言ったが、中3での転校が決まった。
その後、私が高校生になるまで時々会っていたけど、サクマ先生が23歳でできちゃった結婚して神奈川にお嫁に行って、会わなくなってしまった。
息子が中学生になり思春期をこじらせてくると、あの頃の自分と重ねてしまう。
私はあの頃、家族でも、友達でもない、信頼できる大人がいてくれたことで、すごく救われていたのだと思う。
同じ言葉をかけられるのでも、サクマ先生だとすごく素直に聞けた。
親からだと全然ダメなのに。
息子にも、そんな家族以外に信頼できる人ができればなぁ、と願っている。