平凡BOYが大学生になるまで⑥~終~

 

平凡BOYが大学生になるまで⑤の続き

 

9. 息子にとっての大学受験

~勝手に親単科~

せっかくなので息子にインタビューしてみました。

まずは『親単科』のあのグラフ。

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・・・へー。

小学校が楽しかったのね~。

中2の時のクラスが合わなくて悩んでたよね…。

高校受験はショックを受けてたよね…。

大学受験メンタル病んで学校休みがちだったよね…。

とにかく今は楽しいってことなのね!

 

Q1反抗期はありましたか?

高校受験と大学受験の時期だけあった。

Q2幼少期どんな子供でしたか?

落ち着きも集中力もない子供。

空気も読めなかった。

Q3自分の強みはなんだと思いますか?

自己肯定感の高さ。

小学校の時は自分に自信がない時期もあったけど、中学・高校で『クラスの3〜4番手』の成績でいられたことで少しずつ自信がついた。

それくらいの立ち位置?が、プレッシャーもなく自分のペースで頑張れて、心地よかった。

Q4大学受験の感想

まあまあしんどかった。

共通テスト対策に追われて、定期テストのための勉強をしなくなったので高3は酷い点数だった。

それが戦略だと思ってやっていたけど、実は酷い点数のテストを見るたびメンタルやられてた。

自分にはこれをまたやる浪人は無理だと思う。

 

~息子の合格体験記~

息子が書いた合格体験記を載せさせてもらいました。

高校入学後、大学受験は私にとって漠然としたものでした。そのため、高校2年生で進路を決める時期になっても、自分の興味のある分野がはっきりせず、なかなか進路を決定することができませんでした。とりあえず理系の学部を志望してはみたものの、理学部や工学部に進学する自分の姿がイメージできず、大学進学そのものを躊躇する気持ちもありました。

そうした中、知り合いの中学生に勉強を教える機会がありました。実際に人に教えるというのは想像以上に難しく、自分の力不足を痛感しました。ただ、それ以上に理解してもらえた時の達成感が大きく、とてもやりがいを感じました。この経験を通して、「教育学部で数学について学びたい」と明確に考えるようになり、自分の中で目標が定まりました。そこから、ようやく私の受験勉強が本格的にスタートしました。

受験勉強を進める中で、私が大事だと感じたことは三つあります。

一つ目は、学校の授業を大切にすることです。授業をしっかり聞き、理解し、定期テストでアウトプットすることで、学んだ内容を定着させることができました。学校の授業を真剣に受けることこそが、すべての原点であると実感しています。

二つ目は、基礎の徹底です。国公立大学を志望する場合、共通テストを受ける必要があり、その対策には基礎の力が不可欠です。しかし、基礎を徹底することは思っていた以上に難しいものでした。基礎レベルの問題ばかり解いていると、次第に飽きが来てしまい、「わかる」ことを「できる」と錯覚してしまうことがありました。その結果、惰性で勉強を続けるようになり、つい難しい参考書に手を出して、それを解いている自分に満足してしまうこともありました。自分のそうした性格を改め、基礎を地道に積み上げることで、模試の結果も少しずつ上昇していきました。

三つ目は、戦略を立てることです。私は「教員になるなら国公立大学」という方針があったため、受験勉強はほとんど共通テスト対策にあてました。理科は基礎科目を選択し、二次試験では得意科目である数学のみで受験できる大学を選びました。共通テスト対策に時間を割いたため、私立大学の併願校の結果はあまり良いとは言えませんでしたが、第一志望の国立大学に合格することができたため、結果的に戦略は成功だったと考えています。

 

最後に、これから大学受験に挑む皆さんへ。

勉強が思うように進まなかったり、模試の結果が振るわず不安になったり、「勉強しなさい」と言われてイライラしたりすることもあると思います。受験勉強は常にポジティブに捉えられるものではありません。そんな時こそ、自分の努力を俯瞰して見つめ、小さな達成をしっかりと認識し、自分を褒めてあげてください。「今日はスクールバスの中で単語を覚えられた」「今日は休み時間に参考書を1ページ進められた」そんな小さな積み重ねが、やがて大きな財産になります。

そして、他人と比べるのではなく、昨日の自分と比べるようにしてください。

皆さんの進路が望む形になることを、心から応援しています。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

10. 最後に

このブログを書くにあたって、いままでの通知表や連絡帳を見返してみた。

そこに私は『自信をつけてほしい』と書いていた。

なんでもいいから自信につながるなにかがあって、

『自分の力を信じられる子になってほしい。』

と思っていた。

そのためなら、いくらでも支えて、背中を押した。

そうして増えていったできること。

息子はきっと『自分の力で手に入れてきた』と思っているけど、それでいいんだと思っている。

 

息子は2度目の妊娠で我が家に来てくれた子。

最初に願ったのは元気に産まれてくれることだけ。

それなのに願うことはどんどん増えるばかり。

そして、今願うことは、

心も体も健康でいてほしい。

すてきな仲間に囲まれていてほしい。

いずれ精神的にも物理的にも自立してほしい。

ということ。

そして、いつかは自分のいちばん大切な『コミュニティ』を見つけて我が家を卒業していってほしいな...。

 

~おわり~

 

ちょっとひと休み

 

『平凡BOYが大学生になるまでシリーズ』

ちょっとお休みして…。

 

大学の友達がお誕生日とのことで、

『気の利いたお菓子を持っていきたい。今日。』

と朝10時にボヤく息子。

最寄り駅周辺にはたくさんお店があるのでどうにかなるだろう…と放置していたのだけど、

『そうだ!あそこに行こう!!』

と、思い立った。

 

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hanamarucha.hatenablog.com

はなまるちゃんご紹介のおやつあんぱん!

 

お店は息子の大学から車で10分位だったので、ドライブがてら一緒に行き、大学まで送っていった。

 

わたくし、小麦粉を焼いた食べ物が大好物でして。

とくに、スポンジ的なやつが大好物でして。

カステラはスーパーで切れ端みたいなやつを時々買うのだけど、それは必ずチーズを乗せて焼くのです。

だから、これはぜったいおいしいやつ!
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我慢できずにイートインスペースでパクリ。

うまっ!想像以上のおいしさ!!


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ソフトクリームもおいしかった!

 

午後は同じマンションのママ友宅でランチの約束をしてたので、このおやつあんぱんをお土産にもっていったら大好評!

もっとたくさん買えばよかったな~。

 

ママ友のお土産のこのパンもおいしかった!

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www.heart-bread.com

 

 

平凡BOYが大学生になるまで⑤

 

平凡BOYが大学生になるまで④の続き

 

8. 大学受験本番の様子

~志望校選び~

まずは、受験する大学決め。

高校の三者面談だったり、横幕先生に相談しながら。

なかなか決まらなかったのは私立の併願校。

高校から5校は出願するように言われていた。

『私立には行きたい大学がない!』

と息子は頭を悩ませていた。

唯一選んできたのが、東京理科大学の二部(夜間)。

卒業するのが大変だという理科大だけど、二部はカリキュラムもサポートも手厚いようだった。

あとは、学費が安い!国立並み!!

正直、昭和生まれの私には『夜学=苦学生』のイメージだったけど、息子は夕方からの登校も、大学の様子も気に入っているようだった。

この時点では国立大学は遠い目標だったので、私の中では理科大の夜間学部生になってまたゲームの世界に浸る息子を想像していた。

 

最終的に出願した大学。

① 地元国立大学 

② 日本大学

③ 東京理科大学二部

④ 学習院大学

⑤ 中央大学

①と③以外は学校の先生にすすめられて、本人渋りつつ決めた。

一般入試組の同級生達は学部違いで10~15校は出願する中、息子の出願先はすごく少なかった。

 

~共通テスト~

高2の冬から受け始めた河合塾の模試。

最初はほぼE判定で震えた。

それが10月の模試でA判定になった。

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川越BASEでの勉強報告を面倒くさがり、

基礎問題の反復を面倒くさがり、

終わりの見えない数学リニアに疲弊しながら、

それでも取り組んでいたから結果が出た。

 

そして年が明け共通テスト本番。

志望校のボーダー、7割取ることが目標だった。

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これまでの模試で唯一偏差値70超えだった化学で大失敗してしまったけど、他でカバーしてなんとかギリギリ7割取ることができた。

悩んだのは、出願するコース。

R6年度の合格者の平均得点率は、

『小学校コース約67%、中学校コース約71%。』

だった。

高校の先生は中学校コースに挑戦することを推した。

ただ、募集人数が小学校コース13人、中学校コース10人と少なく、ボーダーラインを超えたからといって安心できないと思った。

息子は、小学校コースを選んだ。

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ちなみに後日談。

R7年度の息子達の結果が出たので比べてみたら、

『小学校コース約77%、中学校コース約82%。』

・・・小学校にしておいてよかった。

 

~最終結果~

二次試験までの間に私立大学の入試。

まずは試験慣れのために受けた日大は無事合格。

次に学習院中央大学

・・・不合格。

理科大二部は共通テスト利用で受験。

ほぼ合格することはわかっていたけど発表は最後。

この時点では日大しか受かっていなかった。

入学金の期限も迫る中、息子は

『必ず受かるから、入学金は納めないで。』

と言った。

 

そして、国立大の二次試験。

数学1科目のみでの受験。

自己採点ではほぼ満点!と自信満々だった。

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合格!サクラサイタ!🌸

 

早速息子は横幕先生へ、私は真島先生に報告した。

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それから2時間後、高校の担任の先生から不安そうに確認の電話が来た。

あっ!高校への連絡をすっかり忘れてた!!

後になって知ったのは…。

息子の大学を受けた生徒は5人。

息子以外はみんな不合格だったそうで…。

受験した子達の中で息子の成績がいちばんよろしくなかったので『◯◯(息子)もダメだったか…。』と連絡してきたらしい。

先生、半泣きで喜んでくれました。

 

長くなりましたが、次で最後になります。

『勝手に親単科』的な感じで息子にあのグラフを書いてもらったり、真島先生がしてたようなインタビューでもしてみようかな~、なんて思っています。

 

~つづく~

 

平凡BOYが大学生になるまで④

 

平凡BOYが大学生になるまで③の続き

 

7. 高校生(大学受験)

~高校1年生~

お金の準備・支払い・手続き・制服の準備

それらに追われていたらあっという間に入学式。

 

息子が通う高校は、

特選コース

特進コース

進学コース

に分かれていた。

コースは受験前の確約をもらう時に決まる。

この確約をもらう時に担当の先生から、

『単願で受験なら特選コースの確約が出せます。』

と言われたけど、併願で受験したため息子は真ん中の特進コースのクラスになった。

『最初から単願で特選クラスにしとけばよかった。』

息子はぼやいていたけど、振り返ってみると1・2年生を特進コースで過ごせてよかったと思っている。

 

入学して2ヶ月。

心配したのは勉強ではなく友達ができないこと。

望まない高校で、友達までできない…。

辞めてしまうのでは?と心配した。

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心配したけど、息子によい仲間ができた。

学校を楽しめるようになったことが嬉しかった。

 

成績も全コース280名の中、上位10%位だった。

上位に入るとその名簿が廊下に貼り出された。

特選コースの名前ばかりのその名簿に自分の名前があることがモチベーションになっているようだった。

 

~高校2年生~

文理選択で理系コースに進む。

『廊下に貼り出される名簿には必ず載る!』

という目標で、学校内の成績は維持できていた。

でも、模試はいまいちだった。

勉強はテスト前だけ学校に残ってやってたけど。

普段の勉強は往復のスクールバスで1時間程度。

それ以外の時間はゲームに費やしていた。

 

夏休みの少し前。

私は入院・手術で2週間家を開けることになった。

退院してすぐ、息子とオープンキャンパスに行った。

この時は『教育学部』なんて考えていなかったけど、たまたま友達に誘われて東京学芸大学に行った。

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オープンキャンパスの後のランチの時。

なんとなく元気のない息子が気になった。

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家に帰って話を聞くと、

『正直、大学生になることの意義がわからない。』

『最近、仲の良い友達が退学してしまった。

高校に行く意義についても考えている。』

と、悩んでいる様子だった。

 

そして、周りが大学進学を意識し始める高2の秋。

『大学には行かずプロゲーマーになりたい。』

『そのために、オーディションを受けたい。』

『プロになれたら、高校を辞めたい。』

と言い出した。

たくさん話して、条件付きで背中を押すことにした。

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結局夢叶わず、息子は大学受験することを選んだ。

でも、一般受験するには時間も学力も足りない。

私は学校の成績(評定)なら割とよかったので、指定校推薦でジーマーチの理学部か、就職に強い四工大を狙っていくのかな…、と思っていた。

 

『国立大学の教育学部に行きたい。』

息子が目指すと言い出した進路は意外なものだった。

私は息子の節目節目で、『モチベーションが下がってるな』と感じた時、知り合いの小中学生に勉強を教える機会を作っていた。

(本人には『◯◯君が勉強教えてほしいらしいよ!』と伝えて。)

そのせいで息子の次の夢は『先生』になっていた。

 

『浪人も覚悟しないとかな…。』

と思いつつ、川越BASEを検討し始める。

 

~高校3年生~

国公立・医学部コースに進む。

入学当初の特選クラスのメンバーばかり。

友達のいないクラスは居心地が悪そうだった。

 

松江塾の川越BASEに入る。

横幕プレミアム、数字リニアも始めた。

 

当初の志望校は、オープンキャンパスで行った東京学芸大学教育学部だった。

横幕先生は、当時の息子の模試の結果を見ると、

『国立なら文系へ。理系に拘るなら私立大へ。』

と、現役合格を目指す方向で話してくれた。

でも、息子にとって大切なのは『現役合格』ではなく『国立大学で数学と教育学を学ぶこと』だった。

『興味がないので文系学部なら進学する気はない。』

『理or工学部で教員免許取得ルートは望まない。』

と、息子の気持ちは揺るがないようだった。

 

そして、面談を重ねて指示をもらう。

・横幕先生おすすめの参考書を3周。

・過去3年分の共通テストの過去問をとく。

・数学は学校の教科書と数学リニアで。

同時に、地方の国立大学をピックアップしてくれた。

初めてやった共通テストの過去問は正答率5割程度。

横幕先生は息子の気持ちも汲んでくれて、

第1志望の学芸大はギリギリまで諦めない。

第2志望は地元の国立大。

本番の共通テストの結果次第では地方国立大に。

という目標に落ち着いた。

 

それから1年、国立大学合格のその日まで。

高校受験の時の3倍くらい大変だった。

2度目の反抗期(?)や。

おばあちゃん宅へのプチ家出。

遅刻・欠席が増える高校生活。

やめられないゲーム。(そもそもやめる気なし)

そこには口を出さず、『いつも笑顔』を求められる。

これ、浪人でもう1年なんてできなかったと思う。

 

最終的には、秋の模試で学芸大学が厳しかったこと、第2志望の地元国立大のオープンキャンパスに行ってみたらよかったことを理由に志願先を決めた。

 

~つづく~

 

平凡BOYが大学生になるまで③

 

平凡BOYが大学生になるまで②の続き

 

6. 中学生(高校受験)

~中学1年生~

『最近の中学校は進路指導をしないらしいYO』

知り合いのママ達からの情報で塾に通い始めた。

あとは、定期テストや北辰テストのため。

 

そして、初めての中間テスト。

塾からは『お任せください!』と言われていた。

そんなわけで、期待もしつつ様子を見ることにした。

結果は200人中78位。

ちょっとがっかりしたのを覚えてる。

でも、『最初の定期テストの結果は当てにならない』とも思っていたので、そこまで気にしていなかった。

 

その順位を見てスイッチが入った(私の)。

『塾や学校任せにしてはいけない!』

と、高校受験までの計画を立てた。

【1年生】とにかく伴走!てゆーか、一緒に勉強!

【2年生】後ろから見守り、必要なら手を貸す!

【3年生】自分の力で走れ!でも遠くから見てるよ!

 

そんなわけで1年生の定期テストは一緒に勉強した。

時には旦那さんにもお願いして。

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そのおかげで次の成績は、上位10%位になった。

ただ、息子の中学には桁違いに賢い猛者がトップ10に君臨していて、3年間の最高順位は10位だった。

そして3学期、1年生最後の定期テストの日。

コロナで数ヶ月に及ぶ休校になった。

それが、松江塾と出会うきっかけとなった。

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~中学2年生~

松江塾を知り体験も行ったが、結局入塾には至らず。

でも、通ってた塾の私立受験押しが合わないと思い。

夏休み前に、近所の公立受験押しの塾に移る。

・週5日の授業(5教科)。

・テスト3週間前から10時間の自学。

という点が気に入ったポイントだった。

 

塾での自学が増えたおかげて私の出番が減る。

テスト前にワークのコピーを取ったり、

成果表を大きく作って壁に張り出したり、

よさげな参考書を探してきたり、

それが私の役割になった。

あとは副教科や夏休みの宿題など、テストには関係ないけど内申点に関わるもののサポートをした。

夏休みの宿題、若いママに聞いたら最近は少ないらしい。でも私は、大変だったけどやれてよかったと思ってます。『読書感想文』は社会に出ても役に立つはず!

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多分息子は放っておいたら全ての副教科が『3』になるタイプの子。

『明日、歌のテストがある』と聞けば一緒に歌い。

『明日、人物画を書くと聞けば』モデルになった。

家庭科は作るものをリサーチして一緒に作ってみた。

副教科のセンスがアレな子なので、とにかく先生に努力が伝わるようにつとめた。

そのおかげで『4』か『5』を取れるようになった。

体育だけばずっと『3』だったけど…。

 

~中学3年生~

いよいよ受験生!高校選び!!

なのに、反抗期が始まる。

 

志望校は地元の公立の男子校。

滑り止めの私立高校には関心をしめさず、

『ママが適当に決めて!どうせ行かないんだし。』

なんて言う始末。

まだまだコロナの影響で高校説明会の予約がうまく取れない中、地元の私立男子校の説明会に行った。

息子は、

『これ、何回もやるの面倒だからここでいい。』

と、私立の滑り止めをこの高校に決めてしまった。

 

夏休み前に受けた北辰テスト(模試)。

偏差値は3教科で65、5教科だと62だった。

第一志望の公立高校は狙えるけど厳しかった。

『まだまだ大丈夫っしょ!』

と息子は言い、頑張って苦手な暗記科目を克服したけど、その後の偏差値は67の時もあれば63の時もあり、結局平均は65だった。

秋になり学校に報告した志望校は1ランク下の高校。

そこなら模試の判定もよく、合格圏だった。

理数科がある高校で、理数科がダメでも普通科での合格も狙える。

志望校を下げたことで息子の勉強時間は減り、ゲームの時間が増えた。

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12月にもらった息子の内申書

検定なし!長の経験なし!

内申点は[1年38/2年41/3年42]だった。

そして、ウサギとカメのウサギ状態で入試を迎えた。

 

結果は、理数科も普通科も不合格。

『どうせ行かないんだし。』と言っていた私立高校に行くことになった。

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そんな感じの中学校3年間。

第一志望は不合格だったけど息子にとっては、

『頑張れば結果につながるんだ!』

と、自分に自信を持てた3年間だったと思う。

 

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最後に、高校選びに関して思うこと。

受験する前は『◯◯高校に行ってくれたらな~』なんて思いもあったけど。

今になって思うのは、

『どの高校に行かせるか』ではなく。

『高校生になるまでにどんな子に育てるか』

なんだな、と。

 

息子の精神的な成長度合いがまだまだ未熟だったを考えると、進学した私立高校が合っていたと思う。

面倒見の良い校風も、男子校なのもよかった。

第一志望にしていた公立高校にうっかり合格していたら、落ちこぼれていたのでは?とも思う。

そして、息子の周りの子達をみると。

高校の学力によってその生活の中心が全く違う。

目的を持って勉学に励む子。

スポーツや部活に熱中する子。

遊びやバイトに明け暮れる子。

恋愛のことで頭がいっぱいな子。

どれもすばらしい青春時代だと思うけど。

我が子がどの世界に身を置いたら輝くのかを考え、送り出せたらいいかな…と思う。

 

つまり、進学先は、

どこでもいいけど、どこでもよくない!

 

・・・どっちやねん。

 

~つづく~

 

 

平凡BOYが大学生になるまで②

 

平凡BOYが大学生になるまで①の続き

 

4. 小学校3〜4年生

学童を辞めて、鍵っ子になる。

この頃から学校でトラブルが起きるようになる。

友達に一方的に殴られて帰ってきたり、

みんなで遊ぶ約束をした公園に行ったら誰もいなかったり。

こんなこともあった。

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でも友達とのことはお互い様だし、すぐ解決した。

 

忘れられないのは6年間で唯一合わないと思った4年生の担任の先生のこと。

当時息子は発達外来に通い投薬治療をしていた。

結局1年程で投薬不要と判断されたのだけど、この頃は症状がいちばん酷かった。

・授業を聞かない。

・ノートを取らない。

・手悪さが多い。

・忘れ物が多い。

・落とし物も多い。

・机(と、その周り)が汚い。

・腹が立つと無になる。

その先生はそんな息子のことが苦手なようだった。

 

ある日息子が、

『今日先生に悲しくなることを言われた。』

と、言ってきた。

それまでも叱られた話を聞くことはあったたけど、今までと様子が違った。

『掃除の時間に自分のやるとこが終わらなかった。

友達みんなから「終わるまでやれ!」って言われた。

だから掃除してたら5時間目が始まってしまった。

先生に理由を伝えたら、すごく怒って怒鳴られた。

「じゃあ友達が死ねって言ったら死ぬのか!」と。』

息子は話しながら泣き出した。

次の日、ソッコーで学校に行った。

『どんな思いでその言葉を使ったのか。』

『他の言葉で伝えることはできなかったのか。』

と、先生の意見を聞きたくて投げかけた。

でも、納得できるような回答はなかった。

先生は謝ってくれたけど少し不服そうだった。

 

私はこのことがきっかけで『息子を賢い子にしよう!』と思うようになった。

トラブルから身を守るには賢さが必要と感じたから。

『賢さ=学力ではない』とは思っていたのだけど。

とりあえず家庭学習を始めた。

といっても、学校の宿題や自主学習ノートとか。

それまでの『ただやればいい』という考えを改めて。

毎日提出できていなかった自主学習ノートを毎日出すようになり、テストの点数もよくなった。

すると、先生の反応も変わり、息子に優しく接してくれるようになった。

 

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定着するまで大変だったけど。

 

いちばんよかったのは、自己肯定感が上がったこと。

色々なことに挑戦したがるようになった。

テニススクールやプログラミング教室に通い出した。

結果、この時の先生には感謝している。

 

5. 小学校5〜6年生

まだ授業中の集中が続かないことがあったのだけど。

『椅子の上に正座して授業を受けたい。』

と、5年生になってすぐ言いだした。

足が痛くなりそう…と心配したけど、その方が集中できると言うのでその時の担任の先生に聞いてみた。

先生は快く承諾してくれて、正座で授業を受けるようになった。

それがよかったのか、先生から、

『◯◯君、挙手がすごく増えましたよ!』

と、言われるようになった。

若い男の先生だったのもよかったのかもしれない。

すごく褒め上手で息子が良い方向に変化した。

家族以外の人から褒められることで成長するんだと実感した。

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『先生のギャグが面白いから僕も勉強する!』

と、この1年肌身離さなかった本。

 

6年生になると、算数は『できる子と苦手な子』で別れて授業を受けることが増えた。

息子は『できる子』のグループに属することで自信をつけているようだった。

自主学習ノートは算数ばかりやるようになり、夏休み前にやるものがなくなってしまった。

でも、中学校の勉強を先取りする気はなかった。

息子の性格上、先取り学習は向かないと思ったから。

仕方なく中学受験用の問題集を買い与えたら、夢中になって取り組んでいた。

2学期になると塾に行きだす友達が増えた。

中学受験する子もいた。

通っていたテニススクールの友達も中学受験組で。

その子のママからは

『一緒に中学受験しない?同じとこ受けようよ!』

と、誘ってもらった。

いくらなんでも6年生じゃ遅いし、そもそも私の中に中学受験の選択肢はなかった。

理由としては…、

・経済的理由(これがいちばん)

・進学予定の公立中学がものすごく近い

・進学予定の公立中学の評判がよい

・進学予定の公立中学の学力が高い(という噂)

・本人の希望

あとは『公立中学は社会の縮図』という考えもあり。

小学校だと『社会の縮図』というには少し早い。

高校だと学力や環境の似た集団になってしまう。

大学も然り。

中学校は社会に出る前に『社会の縮図』を体験できる最後のチャンスなのでは?

将来社会に出た時、その経験が役に立つのでは?

…当時の私はそう考えていた。

 

でも、実際に公立中学で生活を送る息子を見て。

思春期という時期を過ごす上で学校は重要。

どんな子と友達になるのかも重要。

荒れている中学校なら私立も検討した方が良い。

子供の性格や心の成長に合わせて選ぶのがいい。

と、考えるようになった。

 

息子には通った公立中学は息子に合っていた。

『公立でも私立でも本人が楽しく通えればOK!』

という考えに落ち着きました。

 

~つづく~

 

平凡BOYが大学生になるまで①

 

息子の大学受験が終わり、今までを振り返ってブログにしたいと思っていました。

うまくまとめられる気がしないのですが、平均的な学力だったからこそ誰かのお役に立てるのかもしれないと考えました。

もしよかったらお付き合いください。

※考えや記憶の変化で前に書いたブログと発言が変わっているかもしれません。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

【目次】

1. 平凡ファミリー

2. 小学校入学前

3. 小学校1〜2年生

4. 小学校3〜4年生

5. 小学校5〜6年生

6. 中学生(高校受験)

7. 高校生(大学受験)

8. 大学受験本番の様子

9. 息子にとっての大学受験

10. 最後に

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

1. 平凡ファミリー

都内の短大卒の私と、地方の国立大卒の旦那さん。

おっとりのんびりでシャイボーイな息子。

共働きだけど、世帯年収はごく普通。

余裕はないけど、楽しく暮らしてます。

ブログ開設時(5年前)に投稿した自己紹介。

aka-net.hatenablog.com

 

2. 小学校入学前

息子は1歳2ヶ月で保育園に入った。

同時に私は保険営業の仕事を始めた。

長く続けるつもりもなく始めた仕事。

でも、思いの外楽しくて。

毎日目まぐるしくて、息子の保育園時代はどんな子育てをしてた…?という感じ。

意識したのは、一緒にいる時間はたくさんおしゃべりしよう!ってことくらい。

 

朝、車で30分かけて保育園に送り、

18時過ぎまで仕事をしてお迎え、

スーパーに寄って買い物をして、

帰って急いで作ってご飯を食べ、

お風呂に入って、少し遊んで寝る。

都内で働く旦那さんは、朝の出発までいてくれる為に10時出勤にしてくれた。

その代わり帰りは深夜。

そんな毎日。

 

幼児教育?

考えもしませんでした。

早期英語?

日本語でやっとです。

読み聞かせ?

布団で本など読んだら5分で寝ます。

そんな状態。

 

苦肉の策で生まれたのが『空想のお話』。

読まなければ起きていられたので。

冒険したり、戦ったりするお話が好きだった。

少し大きくなると『しりとり』とか『なぞなぞ』も喜んだ。

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初めてのお気に入り絵本はトーマス。

何度も読んであげる根気がなくて、

『2歳なのに読めるなんてすごいね!』

『ママに教えて〜』

なんて言うと嬉しそうに読んでた。

(まだ字は読めません。)

『トーマシュがいましたっ!』

『パーシーがいましたっ!』

『パパがいましたっ!』

息子、ずっとこのおじさんをパパだと思ってました。

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保育園から帰って私がご飯の支度をしている時間は、

この玉を転がすブロック?をずっとやっていた。

 

3. 小学校1〜2年生

小学校に入る少し前からはなまる学習会に入った。

でも、熱心に勉強に取り組んでるわけじゃなかった。

だんだん宿題が負担になり2年生で辞めてしまった。

この頃の習い事はそれくらい。

とにかく私は友達と仲良くできて、元気に学校に行ってくれればいいと思っていた。

学童に通っていたけど、同級生と放課後遊べないのでずっと辞めたがっていた。

それでもコマやけん玉などを覚えて楽しそうだった。

 

小学校に入学して、保育園との違いに戸惑った。

親子ともに、慣れるまで1年かかった。

保育園の時はお迎えに行くと先生からその日あったことを聞くことができたのに。

小学生になったら頼みの綱は息子の報告と連絡帳。

『楽しかったよ!』

『つまらなかったよ!』

しか言わない息子。

そして、連絡帳は読解不能

連絡帳で情報が伝わるようになるまで3年かかった。

 

学習面は、可もなく不可もなくという感じ。

・・・国語は苦手だったかな。

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・・・いぬい。

 

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2年生の時の通知表。

算数だけ『よくできる』があるけど、ほぼ普通。

国語はやはり『がんばろう』があった。

ただ、私が気にしたのは右側のページで。

先生からのメッセージがすごくありがたかった。

 

~つづく~