作文

 

私が住む地域の小中学校では、『かりがね』という文集のようなものがある。

市内の小中学生から選ばれた作文が載る。

各学年から優秀賞?の2~3人の作文、佳作の数名が巻末に名前だけ載る。

何十年も前の、私が小学生の時からあった。

 

私が小学2年生の時、近所のウサギについて書いた作文が選ばれた。

それまで作文が得意だと思ったこともなく…。

授業中に作文を書いたことも忘れていた。

特に目立つ特技もなかった私を先生はみんなの前で褒めてくれた。

 

それから『文章を書くことは得意』だと思うようになった。

授業で作文を書かされても10分くらいで書きあげ教卓まで出しに行くと、

「もう書けたの!?早い!!」

とクラスメイトがざわつき、得意げになっていた。

 

すっかり国語が好きになり、短大は国文科を選ぶほどになった。

 

今になって思えば、なんてことのない文章だったろう。

そして、ひらがなだらけだから書くのが早かったのだろう。

クラスでも目立たない私に、もしかしたら先生が

『自信をつけてほしい』

と選んでくれたのかもしれない。

 

小学6年生まで毎年『かりがね』に選ばれるようになった。

ただ高学年になるにつれて、選ばれないと気が済まなくなり…。

どうやったら読む側の大人が喜ぶか考え、

『選ばれるための作文』

を書くようになっていた気がする。

 

 

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中学3年生になり、テストの傾向が少し変わった。

特に国語は必ず『作文』が入るようになった。

北辰テストにも、入試本番にも入るからだろうか。

息子はその『作文』にものすごく苦しめられている。

 

昔から『作文』が苦手だった息子。

文章を組み立てることはもちろん、接続詞のセンスがいまだに小学生。

(『そして』の多用。『でも・だから』の多用。丁寧語と平常語が混ざる。)

致命的なのが『作者や書かせる側の意図』がわからない。

書いてはいけないようなことを書く。

 

毎年春に『人権問題』の作文を書かされるのだけど…そこには、

『ぼくは黒人のことが気持ち悪いです』とか、

『去年〇〇さんが無視されていました』とか、

ショッキングなことを書いてしまう。

人権作文の頃になると、息子のかばんから見つけ出し直しを入れさせるようになった。

息子の人間性を疑われたら…という気持ちと、息子の作文で誰かが傷ついてしまったら…という気持ちで。

これは息子の特性なんだろうか。

対話を重ねるがなかなかうまくいかない。

 

 

定期テストも北辰テストも、作文の配点は12点。

この間の北辰テストでは2点、期末テストでは0点だった。

・・・0点って。

 

 

 

そんなわけで期末テスト。

 

《結果》

国語 72点

数学 82点

英語 87点

理科 81点

社会 88点

5科 410点

 

順位 41位

 

本人強がってるけど、相当落ち込んでいる様子。

いつもと同じようにテスト勉強していたけど。

きっとなにかが足りなかったのだろう。

そして全ての教科で国語力のなさが影響しているような…。

 

《国語》

作者の気持ちが読み取れない。

記述問題はだいたい減点。

《数学》

証明問題がだいたい減点

とにかく暗算したがる。(途中式をめんどくさがる)

《英語》

『〇〇を使って英文を作りなさい』

で、作る英文が全てゲーム。

(例)

I have been playing a game for three hours.

I am loved by the god of the games.

《理科・社会》

『〇〇について説明しなさい』

で、答えが言葉足らず&幼稚。

 

 

もう中3なので、それも自分で考えればいいかな…、と思うように。

だんだん思春期らしくなってきて、

『自分のことは口出しされたくないけど、しっかり見守っていてほしい』

という様子。

 

私も、仕事と折り合いをつけながら、三者面談やら、説明会やら、オープンスクールやら…、親がやることはたくさんあるから見守ってばかりいられないのだけど。

 

 『思春期の息子を楽しもう♪』

・・・くらいの気持ちじゃないとやってられないかも。